私たちが普段何気なく使っている「手紙」という言葉。
実は、昔は違う呼び方をしていたことをご存じですか?
本記事では、以下のことを説明していきます。
この記事を読めば、手紙の昔の呼び方、どの時代に手紙を使うようになったのかが分かります。
「手紙」の昔の言い方一覧

昔の日本では「手紙」をなんという呼び方をしていたのか、一つずつ解説していきます。
昔の言い方①:「文(ふみ)」
「文(ふみ)」が使われていたのは、奈良時代から江戸時代。
『万葉集』などの和歌に「文」が登場し、手紙や書物を指す言葉として使われていました。
また、貴族文化が発展した平安時代には、
などの文学作品に「文」が頻繁に登場。
恋愛や人間関係を築く上で、手紙(文)のやりとりが重要な役割を果たしていました。
ちなみに、和歌では、
- 「文の使い(手紙の使者)」
- 「文待つ(手紙を待つ)」
といった表現も登場しています。
昔の言い方②:「雁(かりがね)」
「雁(かりがね)」が手紙の象徴として使われたのは、特に平安時代以降の和歌や文学。
昔の日本では、手紙のことを「雁の使い」と表現することがありました。
これは、雁が秋になると北から南へ渡ってきて、春になると再び北へ帰ることにちなみ、「遠方の人へ思いを伝える象徴」とされていたためです。
たとえば、『源氏物語』や平安時代の和歌などにも、雁が手紙や便りの象徴として登場します。
雁が隊列を組んで飛ぶ姿を、文を運ぶものにたとえたり、手紙を送れない寂しさを表現したりすることがありました。
昔の言い方③:「消息(しょうそく)」
「消息(しょうそく)」は、平安時代以降に手紙や便りを指す言葉として使われていました。
特に、貴族たちの間では、
「消息を通わす(手紙をやり取りする)」
という表現がよく用いられました。
「消息」はもともと、
- 「人の動静」
- 「状況を知らせること」
を意味しますが、そこから転じて「手紙」「便り」「通信」の意味でも使われるようになりました。
昔の言い方④:「尺牘(せきとく)」
「尺牘(せきとく)」は、平安時代から江戸時代にかけて使用されていた言葉です。
もともとは中国由来の言葉ですが、漢文文化が伝わるとともに「尺牘」が導入。
書簡の格式ばった表現として使われるようになりました。
ただし、「尺牘」が導入された当時の日本では、
といった和語が一般的でした。
そのため、「尺牘」はより公的な書状や漢文で書かれた手紙に限られて使用されました。
昔の言い方⑤:「玉梓(たまずさ)」
「玉梓(たまずさ)」は、奈良時代から江戸時代にかけて、特に平安時代の和歌や古典文学の中で使われていました。
「玉梓」は日本独自の言葉で、単に「手紙」を指すだけでなく、
などを指すこともありました。
「玉(たま)」+「梓(あずさ)」の意味としては、
- 「玉」は美しいものや貴重なものを指す枕詞
- 「梓(あずさ)」は、木の名前(アズサ)であり、書状を書くための木として使われた
この2つが合わさって、「大切な手紙」、「貴重な便り」という意味になったと考えられています。
「手紙」を使うようになったのはいつからか?

過去の言い方を調べてみると、多くの言葉で「手紙」を表現していた昔の日本。
ただ、疑問なのは、
どのタイミングで「手紙」という言葉が現れたのか?
ということでしょう。
ここでは、「手紙(てがみ)」という言葉はいつから定着したのか?について解説していきます。
奈良・平安時代|全く違う意味
この頃の「手紙」は、
を意味していました。
つまり、現在のような「書状」や「便り」を指していたわけではなかったのです。
ちなみに、『源氏物語』や『枕草子』にも「手紙」という言葉は登場せず、書状では、
- 「文(ふみ)」
- 「消息(しょうそく)」
などと呼ばれていました。
鎌倉・室町時代|まだ一般的ではなかった
鎌倉時代には「手紙」が「書状」を指す意味で使われ始めました。
しかし、「書状」や「消息」などの言葉がまだ一般的でした。
室町時代になると、書簡を表す言葉としての「手紙」の使用例が増え、現在の意味へと近づいていきます。
江戸時代|一般化していった
庶民文化が発展したことで、手紙のやり取りが一般化しました。
それに伴って、「手紙」という言葉が広く使われるようになりました。
文学作品や浮世絵にも、手紙のシーンが頻繁に登場するようになります。
明治時代|完全に定着
この時代では、「手紙」は正式な通信文を指す言葉として完全に定着。
公的・私的な書状のいずれにも使われるようになり、現代の意味で広く用いられるようになりました。
まとめ

今回は、手紙の昔の言い方と、手紙が使われるようになったタイミングについてご紹介しました。
以下、簡単なまとめになります。