現在では住居の出入り口として広く使われている「玄関」。
しかし実は、時代や用途によってさまざまな呼び名が存在していたのです。
特に「武家屋敷」や「貴族の邸宅」、「商家」では、玄関の役割や形状に応じた独自の名称が使われていました。
本記事では、
について解説していきます。
玄関の昔の言い方について

時代ごとに異なる玄関の名称と、それぞれの特徴を紹介します。
「表口」:庶民の玄関
「表口(おもてぐち)」は、主に庶民の住居や町屋で使われた一般的な出入り口です。
現代の玄関に近い役割を持ち、家主が来客を迎える場として重要視されました。
地域や家の構造によっては、簡単な仕切りや門が設けられ、家の格式や暮らしぶりを反映する要素となっていました。
「御門」:格式高い門
「御門(ごもん)」は、貴族の邸宅や寺院に見られる格式の高い正門を指します。
ただの出入り口ではなく、権威や神聖さを象徴する重要な要素でした。
特に寺院では信仰の象徴としての意味を持ち、参拝者が神聖な空間へと足を踏み入れる場でもありました。
平安時代の玄関の呼び名
平安時代には、貴族の屋敷に「御簾口(みすぐち)」と呼ばれる出入り口がありました。
これは、屋敷内の女性が外部と接触する際に使われ、直接姿を見せずにやり取りできるよう工夫されていました。
また、「渡殿(わたどの)」と呼ばれる廊下状の通路があり、高貴な人物が屋敷内を移動する際に用いられました。
鎌倉・室町時代の玄関の呼び名:表門
武士の勢力が強まった鎌倉・室町時代には、武家屋敷の正門として「表門(おもてもん)」が使われるようになりました。
この門は、屋敷の格式を示す重要な存在であり、
- 装飾を施す
- 番兵を配置する
などをしていたのです。
江戸時代の玄関:玄関という言葉の定着
「玄関」という言葉は、中国の禅宗に由来し、「奥深い真理への入り口」という意味を持ちます。
鎌倉時代に禅宗とともに日本へ伝わり、寺院の正式な出入り口として使われるようになりました。
その後、武家屋敷にも取り入れられ、江戸時代には「玄関」が武士の邸宅の正式な入口として定着しました。
大名や高位の武士の屋敷では、玄関が豪華に造られ、格式を示す空間として整えられました。
武家屋敷や町屋の玄関の言い方の違い

武士の家では「式台玄関」
武士の屋敷では、身分の高い客を迎えるために「式台玄関(しきだいげんかん)」が設けられていました。
ここでは、主人が客を迎える際に正座し、礼儀を尽くす場として機能していました。
格式を重視し、造りも豪華なものが多かったのが特徴です。
商家や町屋では「店の間」
町屋や商家では、玄関と店舗が一体化した「店の間(みせのま)」が使われていました。
これは単なる出入り口ではなく、商売の場としての役割も持ち、生活と経済活動が密接に結びついていました。
江戸時代後期には、玄関に看板やのれんを掲げる文化が広まり、商家の個性を表現する要素となりました。
庶民の家における玄関の歴史

江戸時代までの庶民の住宅と玄関の関係
江戸時代の庶民の住宅には、現在のような「玄関」という概念はほとんどありませんでした。
なぜなら、長屋では戸口が直接外に面しており、靴を脱ぐ特別な空間がなかったからです。
そのため、家の出入りは直接外部とつながり、玄関らしい機能は限られていました。
そして、広い玄関を持つ家は農家や商家などに限られ、庶民は狭い戸口を利用していたのです。
明治時代以降、玄関が一般家庭に普及した背景
明治時代に入ると、西洋の影響で住宅様式が変化し、玄関が一般家庭にも広がりました。
特に上流階級では西洋風の玄関が採用され、庶民の家にも影響を与えました。
都市部では長屋の構造が見直され、快適な住環境が求められる中で、玄関の概念が確立。
武家文化の影響もあり、日本独自の玄関スタイルが形成され、靴を脱ぐ空間が明確になりました。
現代における玄関の多様な呼び方
現代建築では、玄関のデザインが多様化し、それに伴い呼び名も変化しています。
このように、時代とともに玄関の呼び方や役割は変化し、多様な形で発展しています。
まとめ

今回は、玄関の昔の呼び名とその背景について解説しました。
玄関の呼び名は、時代や用途によってさまざまに変化しており、
- 平安時代の貴族の屋敷:「御簾口」
- 武士の屋敷:「表門」、「式台玄関」
- 商家:「店の間」
と、それぞれの社会構造や建物の用途に応じた呼び方がありました。
そして、江戸時代には「玄関」という言葉が定着し、庶民の住居にも導入されるようになっています。。
現在、玄関は家の顔ともいえる存在です。
ですが、かつては身分や役割に応じて異なる名称が使われていたことを知ると、より歴史的な視点で日本の住文化を見つめることができるでしょう。