眼鏡の昔の言い方まとめ!意外な呼び名と歴史を解説!

眼鏡の昔の言い方と歴史について 暮らし・生活

多くの人にとって欠かせないアイテム、「眼鏡」。

実は、昔は現在とは異なる呼び方がされていたんです。

本記事では、眼鏡の昔の言い方・呼び名について、以下のことを説明していきます。

当記事の内容
  • 眼鏡の昔の言い方について
  • 眼鏡が日本に伝わった経緯
  • 眼鏡の昔の言い方は現在でも使用されているのか?

当記事を読めば、眼鏡の昔の呼び名や歴史が簡単に理解できますよ。

眼鏡の昔の言い方について

昔の言い方①:「靉靆(あいたい)」

まず、眼鏡は「靉靆(あいたい)」と呼ばれていました。

この情報は、「レファレンス協同データベース」にて、以下の質問と回答があったことで判明しています。

質問:「靉靆(あいたい)」という言葉が「眼鏡」を指す言葉として使われている文献を探している。

回答:次の資料に眼鏡について書かれている文献が掲載されています。
 ・『古事類苑 46 器用部2』 神宮司庁/編 吉川弘文館 1979
  明治時代に編纂された、当時の百科事典です。
  p.560~568 「眼鏡」の項目

出典元:レファレンス協同データベース

つまり、昔の文献で「眼鏡」のことを「靉靆」と使用していた証拠が残っているわけです。

ちなみに、こちらの回答量はかなり多く、先ほど紹介した文献の他にも、

  • 『倭訓栞 下巻 増補語林』 谷川士清/著
  • 『和漢三才図会 5』東洋文庫 寺島良安/〔著〕
  • 『日本随筆大成 第2期 23』 日本随筆大成編輯部/編
  • 『万金産業袋 生活の古典双書』 三宅也来/著
  • 『新修京都叢書 第10巻 雍州府志』 野間光辰/編

出典元:レファレンス協同データベース

などなど、合計8つの文献で、「靉靆」と表現していたと書かれていました。

なので、昔の日本で、眼鏡のことを「靉靆」という言葉で用いていたことは、ほぼ確定といえるでしょう。

昔の言い方②:「御目鑑」

別の情報では、

  • 「御目鑑(おめがね)」
  • 「御目鑑(めがかみ)」

と呼ばれていた可能性も浮上しています。

なぜなら、「レファレンス協同データベース」には、以下の質問と回答もあったからです。

質問:江戸時代の文書を読んでいたら、「御目鑑」という言葉が出てきた。この言葉の読み方と意味を教えて欲しい。

回答:

辞典類には記載がない。
読み方を「めがね」とする例、「めかがみ」とする例は、国会図書館デジタルアーカイブポータルで発見できた。
『福井県史』にも「御目鑑通」という言葉が出てくる。また、「おめがね」とのルビも振られている。
編纂に関わった福井県文書館職員に質問したところ、福井県史に登場する「御目鑑通」は、「お眼鏡にかなうとおり」というときに使う、「めがね」と同じであろうとのこと。

出典元:レファレンス協同データベース

このような情報があるため、もしかしたら、昔は眼鏡のことを「御目鑑」と呼んでいた可能性はあります。

ただ、「靉靆」と比べると文献が少ないため、参考程度に留めておいた方がいいかもしれません。

眼鏡が日本に伝わった経緯

どのように眼鏡が日本に伝わり、広まっていったのかについて解説していきます。

眼鏡を日本に持ち込んだのは誰?

眼鏡が日本に初めて伝わったのは16世紀のこととされ、ポルトガルやスペインの宣教師によって持ち込まれたと考えられています。

詳細としては、あの有名な「フランシスコ・ザビエル」が山口県の大名へ色々な物を献上。

その献上品の中に「眼鏡」が入っていたとされ、その大名が最初に眼鏡を掛けた日本人と言われています。

最近は老眼や視力の矯正の目的以外にも、ファッションとしても使われている眼鏡。

実はこの眼鏡が初めて日本に紹介されたのは1551年のこと。

周防 (現在の山口県)の国主・大内義隆に献上されたものだとされています。

大内に眼鏡を献上した人物はあのフランシスコ・ザビエルです。

出典元:Japaaan

こうして「眼鏡」は、当時の日本人にとって珍しい西洋の品として注目を集めることに。

その後、交易を通じて日本にもたらされ、特に長崎を中心に広まったとされています。

江戸時代の日本人は眼鏡をどう使った?

江戸時代、眼鏡は主に知識人や医者、商人などの限られた層で使用されていました。

老眼鏡として利用されることが多く、特に医者や学者は手元の細かい文字を読むために使用していました

一方で、武士の間では眼鏡をかけることは珍しく、視力を補うよりも知的な印象を与える道具として使われることもありました。

当時の眼鏡の値段や普及率

江戸時代の眼鏡は非常に高価なもので、長崎の出島を通じて輸入された西洋製の眼鏡は、武士や豪商が主に購入していました。

しかし、国内で眼鏡の製造が始まると、価格が徐々に下がり、庶民の間にも広がり始めました

特に、江戸や大阪では職人による眼鏡の製造が活発になり、需要の高まりに応える形で流通が増えていったのです。

現在は眼鏡の昔の呼び名は使われていない

現在では、「靉靆」や「御目鑑」といった昔の言葉を「眼鏡」の呼び名として使うことはほとんどありません。

ただし、「靉靆」に限っては、眼鏡の昔の言い方とは別で、

  • 霧や雲がたおやかに広がること
  • 心が晴れず曇ったような気分のこと

などの意味を持っています。

そして、そういった意味があるためか、アーティストの方々が曲名のタイトルに使っていたりします

参考元:YouTube「靉靆」悒うつぼ

まとめ

今回は、眼鏡の昔の言い方や眼鏡が日本に伝わった経緯をご紹介しました。

眼鏡には、かつて「靉靆(あいたい)」や「御目鑑」といった呼び名が存在していました。

しかし、時代の変遷とともに使うことがなくなり、現在では「眼鏡」という呼称が一般的に使われています。

ただ、「靉靆(あいたい)」に限っては、曲名のタイトルとして使う方もいるため、違った形で目にすることもあるかもしれません。