「リビング」って、昔の日本ではどんな名前で呼ばれていたの?
このような疑問に答えます。
本記事では、以下のことについて説明していきます。
- 「リビング」の昔の言い方について
- 「リビング」という言葉が浸透したタイミング
当記事を読むことで、「リビング」の代わりにどのような名称が昔の日本で使われていたかが分かります。
リビングの昔の言い方

昔の日本では、「リビング」を以下のように呼んでいました。
- 「居間(いま)」
- 「広間(ひろま)」
- 「茶の間(ちゃのま)」
順番に説明していきます。
「居間(いま)」
「居間(いま)」は、「家族が日常的に過ごす部屋」を指している言葉です。
現代の「リビング」に最も近い意味を持つ昔の言い方かもしれません。
具体的にいつから使われたかは明確ではありません。
ただ、江戸時代にはすでに使われていたと考えられています。
それ以前の日本の住宅は、部屋の用途が固定されていないことが多く、「居間」のような概念はあまり一般的ではありませんでした。
しかし、明治時代以降になると、西洋の住宅スタイルが一般家庭に浸透。
その結果、和風住宅の中で「居間」という言葉が定着していきました。
「広間(ひろま)」
「広間(ひろま)」も、「リビング」 の昔の言い方の一つとして考えることができます。
ただし、用途としては、
などなど、多目的に使われていました。
そのため、現代の「リビング」と完全に一致するとは言い切れないでしょう。
「広間」は、平安時代(794年~1185年) から存在していた言葉です。
ただ、「家族の集まりの場」として機能し始めたのは江戸時代(1603年~1868年)頃と、かなり時間が経ってからでした。
ちなみに、明治時代(1868年~1912年)以降は、
- 「リビング」
- 「居間」
という言葉が広まっていったため、「広間」を一般家庭で使うことは、ほぼない状態。
現在では、「広間」という言葉は、旅館・料亭・寺社などの「大広間」を指すことが多いです。
「茶の間(ちゃのま)」
「茶の間」は昔の日本で 「リビング」 の役割を果たしていた部屋の一つです。
特に、家族が日常的に顔を合わせ、食事やくつろぎのひとときを楽しむ場所として使われていました。
ただし、現代の「リビング」と完全に一致しているわけではありません。
なぜなら、「ダイニング(食堂)」の役割も兼ねることが多かったからです。
なので、現代にたとえるなら、「リビングダイニング」に近い存在かもしれません。
「茶の間」という言葉は、江戸時代(1603年~1868年) にはすでに使われていたと考えられています。
江戸時代の「茶の間」は以下のように使われていました▼
- 庶民の家では、囲炉裏(いろり)や火鉢(ひばち)を囲んで食事や会話を楽しんでいた
- 武家や町屋では、食事をするためのスペースとして「茶の間」が設けられていた
ちなみに、昭和の高度経済成長期(1950年代~70年代)には、テレビが普及。
その影響によって、
「茶の間」=家族と一緒にテレビを見る場所
としての意味合いも強まりました。
「リビング」という言葉が浸透したタイミング

日本で「リビング」という言葉が一般家庭に浸透していったのはいつ頃からか、解説していきます。
高度経済成長期に西洋の住宅スタイルが浸透
1950年代頃になると、西洋の住宅スタイルを導入。
それに伴い、日本の住宅設計にアメリカのライフスタイルも取り入れられるようになりました。
そして、昭和30年代(1950年代後半~1960年代)になると、フローリングの洋間が増加し、「リビングルーム」と呼ばれる空間が登場しました。
テレビの普及と「リビング」の定着
1950年代後半からテレビの普及が進行。
その影響から「一家団らんの場」としてのリビングの役割が強まりました。
そして、これまでは、
- 「茶の間」
- 「居間」
という言葉を使っていましたが、テレビの影響で「リビングルーム(略してリビング)」という言葉が一般に浸透。
そのため、「居間」などの昔の言い方をしなくなっていきました。
そして、1970年代には、リビングダイニング(LDK)の間取りが広く普及したことで、リビングが家の中心となりました。
まとめ

今回は、「リビング」の昔の言い方と、「リビング」という言葉が浸透したタイミングをご紹介しました。
以下、今回の簡単なまとめになります。
現代では「リビング」という言葉を使う人の方が多くいるかもしれません。
一方で、「居間」や「茶の間」などの表現も根強く残っています。
住宅のスタイルや家族の過ごし方の変化とともに、リビングの役割も少しずつ変わり続けています。